2013年3月18日月曜日

耕便門(こうべんもん) 那須烏山市




耕便門(水路トンネルの出水口の名称)の掘削

栃木県那須烏山市


耕便門とは「田畑を耕すための便利な門」と言う意味だそうだ。

当時の領主大久保忠成(ただしげ)が名付けたと言われる。

那須烏山市の市街地の地下を水路隧道が通じている。

隧道掘削の地下水路の精密設計書を作ったの
   
当時水戸領久那瀬の婦人設計者だったそうだが氏名は分からない。

   この計測資料に基づいて、

文政八年(1825年)三月から

烏山町の赤坂町の根元小右衛門、大沢村の
            
    平山助乃丞の二人が、この隧道工事を引き受け

平山助乃丞は在の耕便門から北方の巻淵に向かって堀り進み、

巻淵の取水門側からは根元小右衛門が掘り進んだ。
    
    灯明やろうそくの照明で金槌と鏨(たがね)を使っての

作業は大変な苦労があったと思われる。
            
    掘削工事は昼夜休まず進められ、翌文政九年(1826年)の六月には
            
    南北からの掘削した隧道(水路トンネル)は誤差も少なく出合ったと言う。

こうして巻淵から耕便門までの隧道は完成し

上流の那珂川の水は耕便門まで流れて行くことになった。
    
    これによって、金井町崖下の荒れ地の開田が進み

水田面積は三十町歩(30㏊)に達し

烏山藩の財政はこの開田によって潤ったと言われる。
            
     耕便門の下流には水車場も作られて、

精米、製粉線香製造者が多あったと言うが

現在はこれらの水車場は無い。
    
    当時の記録では隧道の長さ224間(約407m)とあるが、

足利工業大学土木史工業研究室の実測では350mである。
    
    費用は600両、現在の費用に換算すると1880~3000万円。
    
   
 資料: 旧烏山町誌 

       足利工業大学 福島研究室(土木史研究室)ホームページ
                                                      


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取水門の崖上に鎮座する水天宮
耕便門の守護神


耕便門の取水門

取水門から上流の風景



耕便門の出水門


 烏山大橋の上からの開田された風景


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