耕便門(水路トンネルの出水口の名称)の掘削
栃木県那須烏山市
耕便門とは「田畑を耕すための便利な門」と言う意味だそうだ。
当時の領主大久保忠成(ただしげ)が名付けたと言われる。
那須烏山市の市街地の地下を水路隧道が通じている。
隧道掘削の地下水路の精密設計書を作ったの
当時水戸領久那瀬の婦人設計者だったそうだが氏名は分からない。
この計測資料に基づいて、
文政八年(1825年)三月から
烏山町の赤坂町の根元小右衛門、大沢村の
平山助乃丞の二人が、この隧道工事を引き受け
平山助乃丞は在の耕便門から北方の巻淵に向かって堀り進み、
巻淵の取水門側からは根元小右衛門が掘り進んだ。
灯明やろうそくの照明で金槌と鏨(たがね)を使っての
作業は大変な苦労があったと思われる。
掘削工事は昼夜休まず進められ、翌文政九年(1826年)の六月には
南北からの掘削した隧道(水路トンネル)は誤差も少なく出合ったと言う。
こうして巻淵から耕便門までの隧道は完成し
上流の那珂川の水は耕便門まで流れて行くことになった。
これによって、金井町崖下の荒れ地の開田が進み
水田面積は三十町歩(30㏊)に達し
烏山藩の財政はこの開田によって潤ったと言われる。
耕便門の下流には水車場も作られて、
精米、製粉線香製造者が多あったと言うが
現在はこれらの水車場は無い。
当時の記録では隧道の長さ224間(約407m)とあるが、
足利工業大学土木史工業研究室の実測では350mである。
費用は600両、現在の費用に換算すると1880~3000万円。
資料: 旧烏山町誌
足利工業大学 福島研究室(土木史研究室)ホームページ
マップファン
取水門の崖上に鎮座する水天宮
耕便門の守護神
耕便門の取水門
取水門から上流の風景
耕便門の出水門
烏山大橋の上からの開田された風景
リンク 足利工業大学 福島研究室
貴重な情報に感謝します。なかなか知り得なかった硬便門の取水口を知ることができました。
返信削除