2013年12月23日月曜日

今日も幻日を見ました!

午後3時半頃、散歩から帰る途中でした。西空に幻日が見えました。急いでカメラを向けて写しました。

 

 

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2013年12月21日土曜日

幻日が見えました!

12月17日,天空に太陽が左右に薄雲に覆われていました。太陽の左右の雲が虹色に輝くのが見えました。幻日といって太陽が三つあるように見えるのです。写真は右側に見えた幻日です。小さな太陽のように見えました。

 

 

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2013年12月18日水曜日

昔語り 松っつあん

昭和15年頃、鉄砲ぶちの松っつあんというおじさんがいた。一人で町はずれの貸家に住んでいて普段は山仕事をして暮らしていた。 秋になると猟銃を肩にして里山へ狩りに出掛けて行った。獲物は山ウサギ、ヤマドリ、キジバトなど小動物だった。「鉄砲ぶち」は方言で「鉄砲を撃つ」という意味だ。

松っつあんは夕刻になると獲物を下げて、家にやって来た。キジバトのこともあれば、山ウサギ、ヤマドリだった。それをうちのおっかさんが調理して一緒に食べた。松っつあんが来るのが楽しみだった。

夕食が済むと松っつあんの鉄砲ぶちの楽しさや自慢話が始まるのだった。中でも面白かった話は狐に化かされた話だった。

「俺が山から帰って来る途中、いずも川なんかあるはずねーのに、広い川があってよ、橋がねーし、しゃーねーからジャブジャブと川に入って向こう岸まで渡ったら川が消えっちまったんだ。あーこれあ狐のヤロが俺のこと化かしやがったんだな。」

「狐の嫁入りっつうのも見たげんと、夕方山の向こうに提灯の行列が見えんだ。チラチラと提灯の明かりがきれ一だったな」

というような話が楽しみだった。

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2013年12月9日月曜日

あの日も快晴だった!



昭和16年(1941年)12月8日,快晴だった。日本海軍のアメリカハワイ軍港を奇襲攻撃して戦果をあげた。しかしその後の経過はご存知の通り。


この日から75年が経った。世界は平和になったか?相変わらず宗教、民族間の紛争で命を脅かされて多く人々がいる。ほんとの平和な世界になって欲しい。








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四十雀がやってきた

 


 




 






 




 




 




 






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2013年3月18日月曜日

耕便門(こうべんもん) 那須烏山市




耕便門(水路トンネルの出水口の名称)の掘削

栃木県那須烏山市


耕便門とは「田畑を耕すための便利な門」と言う意味だそうだ。

当時の領主大久保忠成(ただしげ)が名付けたと言われる。

那須烏山市の市街地の地下を水路隧道が通じている。

隧道掘削の地下水路の精密設計書を作ったの
   
当時水戸領久那瀬の婦人設計者だったそうだが氏名は分からない。

   この計測資料に基づいて、

文政八年(1825年)三月から

烏山町の赤坂町の根元小右衛門、大沢村の
            
    平山助乃丞の二人が、この隧道工事を引き受け

平山助乃丞は在の耕便門から北方の巻淵に向かって堀り進み、

巻淵の取水門側からは根元小右衛門が掘り進んだ。
    
    灯明やろうそくの照明で金槌と鏨(たがね)を使っての

作業は大変な苦労があったと思われる。
            
    掘削工事は昼夜休まず進められ、翌文政九年(1826年)の六月には
            
    南北からの掘削した隧道(水路トンネル)は誤差も少なく出合ったと言う。

こうして巻淵から耕便門までの隧道は完成し

上流の那珂川の水は耕便門まで流れて行くことになった。
    
    これによって、金井町崖下の荒れ地の開田が進み

水田面積は三十町歩(30㏊)に達し

烏山藩の財政はこの開田によって潤ったと言われる。
            
     耕便門の下流には水車場も作られて、

精米、製粉線香製造者が多あったと言うが

現在はこれらの水車場は無い。
    
    当時の記録では隧道の長さ224間(約407m)とあるが、

足利工業大学土木史工業研究室の実測では350mである。
    
    費用は600両、現在の費用に換算すると1880~3000万円。
    
   
 資料: 旧烏山町誌 

       足利工業大学 福島研究室(土木史研究室)ホームページ
                                                      


マップファン




取水門の崖上に鎮座する水天宮
耕便門の守護神


耕便門の取水門

取水門から上流の風景



耕便門の出水門


 烏山大橋の上からの開田された風景


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2013年2月22日金曜日

歩く会 森田の芳朝寺 2013/02/17(日)

快晴に恵まれて穏やかな日だった。
烏山線に乗って小塙駅で下車して、芳朝寺に歩む。




正面の山の雑木林が森田城趾。この麓に芳朝寺がある。




 芳朝寺の境内
芳朝寺は曹洞宗の寺院で那須与一の長兄
、那須太郎光隆の創建と伝えられる。












頂上から日光の男体山、女峰山、高原山などが望遠できる。